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痙攣と感動に震えた初マラソン(さいたま国際マラソン 前編) [ランニング]

久しぶりのブログ更新です~[わーい(嬉しい顔)]

実はmakiwarikunこと私、しばらく体調を崩しておりまして、それはそれで辛くもあった訳ですが、「災い転じて福となす」と言うべきか、あれほど何回も挑戦しながらリバウンドを続けてたダイエットが、決して健康的な痩せ方ではないのですが、なんとあっさり15㎏の減量に成功[手(チョキ)]
なんと、大学卒業時まで体重が減ったのです。

健康のありがたさがしみじみと分かった私は、軽くなった体を活かしつつ、再びリバウンドをして不健康な体(以前の私は完全にメタボ体型で「歩く成人病」状態でした)に戻らないために、今年の3月からランニングを始めることにしました。ランニングなら、用意する道具はシューズくらいですし、いつでも好きな時にやることが出来ます。更に、なによりも山登りのトレーニングとしての効果が期待できます。

という訳で、ブログの内容を以前からの趣味である山登りに加えランニングに関するものに絞込み、タイトルも「自由自在」という訳の分からんものから、「走ったり登ったり」と単純明快なものに変更することにしました。

ここのところ、なんだかんだと忙しくしているので、以前のような長文のブログは書けないと思いますし、更新もそれほど頻繁にできるかは不明ですが、ボチボチと気楽に書いてみたいと思っとります。ハイ![ぴかぴか(新しい)]

さて、3月から開始したランニングですが、月間走行距離は、次の通り推移しています。
3月  103㎞
4月  201㎞
5月  235㎞
6月  364㎞
7月  333㎞
8月  366㎞
9月  174㎞    
10月  307㎞

暑い夏場からグッと走行距離が増えているのは、朝に目覚める時間が午前2時~3時と早くなった影響だと思われます(ちなみに夜は9時くらいには寝ています)。燃焼カロリーが高くなる朝食前に走ることが多いのですが、朝食までの時間が増えたのに比例して走行時間が増えた訳ですね。まぁ、夏はクソ暑い昼間に走ろうとしても、外に出る気力すら湧いてきませんが…。
逆に、9月に走行距離がガクンと減っているのは、1週間の夏休みの影響が大きいようです。いずれにしても、「なんか走りたいなぁ」と思った時に走り、体調の悪い時や気分の乗らない時には無理しないというスタイルですので、目標距離やタイムや走るコースすら決めないで、自分の体と対話しながら自由気ままに走ってます。

専用のシューズ1足あれば気楽に始められると考えたランニングですが、山バッチといい収集癖のある私はそうは行きません。見よ、この8ヶ月間で買い揃えたシューズ達を!!
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内訳は、アシックス 4足 、アディダス 3足 、ミズノ 2足 、ニューバランス 1足 、リーボック 1足 、ON 1足の合計12足です。同じメーカーのシューズでも全てモデルが違うので、当然に履き心地は微妙に違っています。
いつか自然に足が前に出て疲れを感じないといった魔法のようなシューズに出会うのではないかという甘い思いで、色んなシューズを買っているのですが、結局は、自分の体調の良し悪しが、その時に履いているシューズの印象となってしまっているような気がします。一応、勝負シューズはアシックスと決めており、大会にはアシックスしか履いて行きません。

3月から始めたランニングですが、そうするといろんな大会に出て自分の実力を試したくなってきます。これまでに出場した大会の記録は以下の通りです。

4月18日 五色桜マラソン 10㎞ 47分8秒
5月3日 こりゃ多摩ラン 10㎞ 47分4秒
10月3日 彩湖ベジタブルマラソン ハーフ 1時間34分12秒
10月25日 手賀沼エコマラソン ハーフ 1時間36分21秒

自分で言うのもなんですが、陸上経験なしの50歳超初心者オヤジにしては、まずまずのタイムです。もう30年以上も前の話になりますが、学生時代にバドミントン部でみっちり走り込んでいたおかげでしょうか。それとも6年前から始めた山登りによって足腰と心肺機能が鍛えられていたのでしょうか。(あるいは、持って生まれた才能だったりして?)

10㎞レースからハーフマラソン(21.1㎞)にステップアップした後に狙うのは当然ながらフルマラソンということになりますが、初マラソンとして出場するにピッタリの大会が見つかりました。それが11月15日に開催される「第1回さいたま国際マラソン」です。リオデジャネイロオリンピックの女子マラソン選考レースを兼ねています。
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地元さいたまでの第1回目の記念大会は、まさに私のために創設されたマラソンのように感じました。しかし、このレースの厳しいところは、制限時間が4時間というところ[がく~(落胆した顔)]
途中6箇所の関門があり、4時間を切れそうにないタイムで走っているランナーは、容赦なくストップされてしまうのです。初マラソンで4時間切りというのは、なかなかにハードルが高い目標です。

でも、能天気な私はハーフマラソンでの実績タイムから考えて、フルマラソン4時間切りはそれほど困難ではないだろうと考えていました。しかし、そんな私に思いもよらぬ悲劇が襲いかかります。
11月3日に本番前の最後の長距離走として30kmを走っていた時、18㎞地点で突然、左ふくらはぎに痛みを感じたので、慌ててストップしました。その時は、あまり深刻に受け止めずに「脱水症状による痙攣だろう」と考えていたのですが、痛みが治まった11月7日に再び30km走を行ったところ、今度はたった11㎞地点で前回よりも遥かに強い痛みを同じ箇所に感じたのでした。間違いなく故障発生です[もうやだ~(悲しい顔)]
症状によっていろいろ調べたところ「筋膜炎」になっていることは間違いなさそうです。ランニング初心者が、まだ十分に体が出来上がっていないにも拘わらず、走りすぎた結果、この症状が発生するとのことです。
「好事魔多し」とはまさにこのことです。「完走くらいは余裕だろう!」と楽観していた私は、一転して「完走は無理だと思うけど、せっかくだから行ける所まで雰囲気だけでも楽しんでこよう!」と悲観の塊と化していました。

レースまでの1週間は、ひたすら左ふくらはぎを暖めマッサージすることによって血流を良くすることに専念し、一歩たりとも走りませんでした。他のランナー達は、最後の調整に余念がないのだろうなぁ…と思うと焦りますが、故障してしまった以上、諦めるほかありません。

11月15日、いよいよ本番当日の朝です。ふくらはぎに故障を抱える私は、テーピングを3重に巻き、ガチガチに固めた上から、圧着サポーターで保護します。古傷のある膝にも、おまじないのパワーテープを貼っています。
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さいたま国際マラソンの良いところは、着替えと荷物置場にスーパーアリーナが使えることです。スーパーアリーナの中は暖房が効いており快適だったので、体力を出来るだけ温存したい私は、スタート(9:40)直前までスーパーアリーナの中で座って軽くストレッチをしながら過ごします。スタート地点がスーパーアリーナの出口の目の前というのも助かりました。

いよいよスタートですが、私は最後尾近くからゆっくりと走り出しました。スタート直後は人混みの中でスピードは出せませんが、ふくらはぎが温まるまで自重しなければならない私にとってはむしろ好都合です。今回のレースに向けて、事前に立てた作戦は次の3つです。
① 5㎞毎の給水は必ず取ること。その際に、スポーツドリンクを飲み、水は気合を入れるために頭から被る。
② 5km毎には塩熱サプリ、10㎞毎にはエネルギーゼリーを摂取すること。
③ 絶対に歩かないこと。走れないほどふくらはぎが痛むようなら、スッパリと棄権すること。

3km過ぎあたりから集団がバラけ始め、1kmあたりのラップペースを4分50秒台と徐々にスピードを上げて行きます[グッド(上向き矢印)]

14km過ぎで、ついに恐れていた事態が発生します[もうやだ~(悲しい顔)]
案の定というべきか、左足のふくらはぎが痛みだしたのです。今にもふくらはぎがつってしまいそうです。私はランニング時には、意識的にはつま先から着地するようにしています(実際には、足裏全体で着地しているようです)が、この時は、つま先を思いっきり上にしてふくらはぎを伸ばすように踵から着地するようにしました。右足と左足とで着地が明らかに違うので、ヒョコヒョコと不自然極まりない走りとなってしまいました。
更に、薬剤師の妻から「足がつりそうになったらコレを飲むんだよ~[揺れるハート]」と手渡された「芍薬甘草湯」という漢方薬を急いで飲みました。

かかと着地走法が功を奏したのか、はたまた芍薬甘草湯が効いたのか、そのうちに左ふくらはぎの痛みは引いてきました。ペースは正確に4分50秒台を刻み良い感じです。

マラソンは、30kmまでは集団に引っ張って貰う気持ちで走り、本当のレースはそこから始まると言われますが、まさに30km地点までは意外と楽に走ることができました。沿道からのたくさんの応援も力になりました。

30kmを超えたあたりから、予想もしていないことが発生しました。なんと、今度は右足のふくらはぎが痙攣しだしたのです。しか~し
安心してください!巻いてますよ!
故障したのは左足でしたが、念のために右足にもテーピングをしたことに、僅かな安心感を抱きつつ、今度は右足のかかと着地走法で頑張ります。

なんとか「かかと着地走法」でふくらはぎをだましながら走り続けていましたが、本当の地獄は38㎞過ぎから始まりました。ついに両足が痙攣しだしたのです。事ここにいたっては、かかと着地走法はもう使えません。必死に足を前に出すことだけに集中しますが、ここからの1km毎の遠いこと遠いこと[ふらふら]

40㎞地点で妻が大声で応援してくれたそうですが、音楽を聴きながら沿道から遠い道の中央付近を走っている私は全く気付きませんでした。ゴールであるスーパーアリーナはすぐに左手に見えているのですが、ぐるりと回りこむようにコースが設定されています。ランニングウォッチでペースを確認すると、1km平均4分55秒であることが分かりました。これなら、3時間30分は余程のことがない限り切れそうです。

そして、ついにゴール!![モータースポーツ]
エイドリア~ン!!

やりました~[パンチ] 初マラソンにして3時間30分切り[手(チョキ)]

レース前は、直前の故障により不安で仕方ありませんでしたが、走ってしまえばとても楽しい3時間半でした。なんとも言えない達成感でいっぱいでした[わーい(嬉しい顔)]

幸せな気持ちに包まれたままトイレに入った途端、限界まで無理をさせた両足が激しく反抗してきました。なんと同時に両足がつったのです。あまりの激痛にトイレの中で呻き声をあげる私[ふらふら]
どうにかしようも、足はピクリとも動いてくれません。30秒ほど固まった後、なんとか動くようになり、ほっと胸をなでおろします。

完走記念としてタオルとメダルをいただきました。
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完走メダル.JPG

妻と一緒に家に戻り、ランニングウォッチで確認した結果は次の通りです。

タイム:3時間28分33秒
距離:42.39㎞
平均ペース:4分55秒/㎞
平均ピッチ:192歩/分
平均ストライド:105cm/歩
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次回のレースは、12月13日の奈良マラソンです。さいたま国際マラソンのダメージがまだ残っており、本格的な練習をまだ再開できていない私は、3週間後のフルマラソンをはたして無事に完走できるのか?!
奈良から自宅へ戻るバスと飛行機は、4時間以内で完走することを前提にして予約している以上、退路は断たれた!次回(1ヶ月後を予定)のブログは見逃せない。

乞うご期待!!

新春トレーニング(高尾山~陣馬山) [登山]

喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきますが、皆様、良いお年をお迎えのことと思います。

私といえば、年末30日に、この数年は恒例となっているのですが、妻がファンクラブに入っているKinki Kids[ぴかぴか(新しい)]の東京ドームコンサートに行ったくらいで、グータラと過ごしていました。(ジャニーズだからと言ってバカにはできないですよ。舞台効果がゴージャスだし、関西仕込みの2人の掛け合いは面白かったです[わーい(嬉しい顔)]

ところが、箱根駅伝を観ているうちに、若者たちがあんなに頑張っているのに、「俺はこんなことでいいのか?」と自問自答するようになり、少しは運動しないと「せっかく戻りつつある体力がまた落ちてしまうぞ!」と反省しました。

箱根駅伝では、特に青学の山登りに起用された神野選手には感動しましたよ。体重はたった43㎏しかないとのことですので、山を歩くにもやっぱり軽い方が楽に違いないですねぇ。

反省したと言っても、「こんなに寒い中、山に登るのはなぁ…」と、心の中では「ぬくぬくした家で、録画した年末の特別番組(「絶対に笑ってはいけない大脱獄24時」)を見たいなぁ…」という気持ちが90%を占めていました。

そこで、3日の夜は早く眠ることにして、山に行く準備は全くやらないまま、もし翌日の朝、目覚ましをかけないで4時頃に起きれたならば、5時26分発の電車に乗って山に行くことに決めました。4時半以降に起きた場合は、二度寝するつもりでした。

本音では、怠け者の自分だからどうせ起きられないだろうとタカをくくっていたのですが、なんと4時15分に目が覚めるという運の悪さ? 大急ぎで準備をすれば、予定していた電車に間に合いそうです。

そこで、あまり気は進みませんでしたが、自宅から最も近い高尾山に行く事にしました。

イヤイヤとは言え、箱根駅伝に感銘を受けて山に行く事にした訳ですから、自分の力を出し切って、高尾山口駅→高尾山→影信山→陣馬山→藤野駅の20kmを越えるロングコースを、5時間以内で歩くことを目標としました。

前回の雲取山と同じように、減量に成功した私は目標を達成できたのでしょうか?(2年前の最重量の時からは13㎏以上痩せましたよ[手(チョキ)]

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2015年1月4日(日)
天候:曇り時々晴れ[曇り][晴れ] 
コースタイム:6:50 高尾山口駅 →7:38 高尾山山頂 →8:09 小仏城山山頂 →8:19 小仏峠 →8:38 影信山山頂 →9:24 明王峠 →9:50 陣馬山山頂 →10:43 陣馬山登山口 →11:00 藤野駅

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歩いたコース

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GPSデータグラフ

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

高尾山口駅には、6時45分頃に到着しましたが、まだ薄暗く、とっても寒いです。高尾山へのケーブルカー乗り場は、高尾山薬王院へ初詣する人々が列を作っていました(初詣期間中は7時が始発のようでした)。
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高尾山口(6:50)

山頂へは、最短の稲荷山コース(3.1㎞)で向かいます。稲荷山コースは、道幅も広く非常に歩き易いです。
夏の暑い時は、渓流沿いの6号路を歩くのが好きなのですが、スピード重視の時は、いつも稲荷山コースを歩いています。1号路(表参道コース)は、テレビ番組では良く紹介されるのですが、アスファルト道で面白くないし、ほぼ一定の傾斜が延々と続くので、意外とキツくて私は2回しか使ったことがないです。
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高尾山コース図(高尾山公式ホームページより)

高尾山頂(標高599m)には、出発から50分弱で到着しました。コースタイムは90分となっていますので、まずまずです。
とりあえず、富士山に向けてシャッターを押しますが、山頂付近は雲が掛かっていました。
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高尾山山頂(7:38)

休憩もとらずに高尾山から陣馬山に向かいますが、道はほぼ一本道で、道標も数多く設置されていますので、道迷いの心配はまずありません。

小仏城山(標高670m)には、高尾山から30分で到着しました。
山頂の天狗の像の鼻がなんとなく卑猥に見えるのは私だけでしょうか?私の愚息もあれくらい元気になってくれればなぁ…
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小仏城山山頂(8:09)

小仏峠には、かわいい狸の置物(信楽焼き?)があります。妻は狸の置物を見る度に、お腹の形が私にそっくりだとして、必ず私の名前を呼んでからかうのですが、減量に成功しお腹が引っ込んでしまったので、もうからかえないと残念そうです。痛風治療のために減量したのですから、もう少し喜んでも良さそうなものなのに…
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小仏峠(8:19)

小仏峠(標高560m)から影信山(標高727m)への登りは、このコース中、唯一と言っていいほど急勾配のキツイところです。
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影信山山頂(8:38)

影信山からは、もうキツイ場所はないので、緩やかな下りや平坦な道では、走って時間短縮を目指します。

名王峠(標高739m)に到着した時点で、かなり疲れているようならショートカットして相模湖駅に下りるつもりでしたが、まだまだ元気なので予定通り陣馬山に向かいます。
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明王峠(9:24)

陣馬山(標高857m)には、なんと出発から3時間で到着しました。これなら、ひょっとすると夢の4時間切りが可能かもしれません。
山頂にある馬の像の頭の形が卑猥に見えるのは私だけでしょうか?私の愚息もあれくらい元気になってくれればなぁ…(いいかげんにしろよ!真ん中の足はともかく、両足は元気になったじゃないか!)
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陣馬山山頂(9:50)

陣馬山頂からの富士山も、やっぱり頭を雲で隠していました。
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陣馬山頂から富士山を臨む(9:50)

陣馬山からは一ノ尾根を下りますが、前回の雲取山で開眼した”その場で足踏み下降法”によって、小走りでスイスイと進むことができました。

人家の間の細い道を進んでいくと、陣馬山登山口の石碑が立つ車道に出ました。
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陣馬山登山口(10:43)

車道を20分ほど歩くと藤野駅に到着です。なんと5時間を目標としていたコースを4時間10分で歩き通したことになります。
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藤野駅(11:00)

藤野駅で腕時計型のGPS(ガーミン社 フェニックスJ)を確認したところ、歩行距離は20.35㎞、平均速度は5.2㎞/時、上昇距離は1,276m、下降距離は1,231mとなっていました。
歩行距離.JPG
歩行距離と平均速度
上昇距離.JPG
上昇距離と下降距離

今回は、調子が良かったのか、全体的にかなりのハイペースで進むことができましたが、もう少しスタミナを付けることにより、もっと走る距離を伸ばせれば、4時間を切る事も可能だと思いました。

手軽に訪れることができるトレーニングコースとして、今後もこのコースを何度か歩きたいと思います。

千載一遇のチャンスが大ピンチになった日(新穂高温泉~鏡平山荘) [登山]

8月17日に始まった当局の検査がなかなか終わらない。当初は早ければ9月22日、遅くとも9月末には終了すると思われていたのであるが、10月になっても継続することが確定した。この調子だと、10月14日頃まで続くような雰囲気だが、それは非常にマズイ。

検査が終わればすぐに1週間の休暇を取って北アルプスに向かうつもりであったのだが、10月中旬になってしまうと、ほとんどの山小屋は閉まってしまうし、北アルプスの高所では、そろそろ雪も降り出す頃になってしまう。

ところが、天の助けか悪魔の罠か、9月30日(金)と10月3日(月)の二日は、半期決算の会社に配慮して、検査官たちが会社に来ない事が突如として発表された。

チャーンス!!

この2日に有給休暇を取れば、3泊4日の予定で北アルプスに行けるではないか。ダメもとで有給休暇の申請を出すと、これまでの頑張りが認められたのか、意外にもあっさり許可が下りた。そりゃそうだ、毎朝2時間のウォーキングの時間すら検査対応のために捧げてきたのだ。1日だけストレス解消のために鹿島槍ヶ岳に向かったが(あえなく敗退)、バドミントンだって2ヶ月間近く全く練習していない。

そこで、大急ぎで北アルプス行きのプランを考えたのであるが、新穂高温泉から入って、鷲羽岳、水晶岳、黒部五郎岳という3つの百名山を荒稼ぎしつつ、雲ノ平をのんびり散策するという計画を立てた。体力がある時なら薬師岳まで足を伸ばしたいところであるが、今の状態では無理はできないと考えた。

天気予報はあまり良くない事を告げていたが、天候を選んでこの千載一遇のチャンスを逃すことはできない。8月27日(土)に槍ヶ岳へ登頂した時のように、奇跡的に天気が回復することだってあるかもしれない。ところが、この日も例によってピンチに見舞われ敗退を余儀なくされたmakiwarikunであった。

果たしてこの日のピンチとは?やっぱり例のアレなのか?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年9月30日(金) (日帰り)
天候:雨[雨]

コースタイム:
6:39 新穂高温泉登山者無料駐車場 →8:05 わさび平小屋(5分休憩) →8:26 小池新道入口 →9:12 秩父沢→10:18 シシドウが原(5分休憩)→11:00 鏡平山荘(15分休憩)→14:46 新穂高温泉登山者無料駐車場

直線距離:22.143km
沿面距離:22.643km
累積標高(+):1812m
累積標高(-):1803m
所要時間:8時間07分



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GPSデータグラフ表示


1時前に自宅を出て、新穂高温泉に着いたのが6時半。天気の悪い平日だというのに、広い駐車場の8割程度が既に埋まっていた。この日もほとんど徹夜状態での山歩きとなったが、今回は日帰りではないので、むしろこのくらいの方が、山小屋で良く眠れる筈だと思っていた(残念ながら、撤退により結果的には日帰りとなってしまったのであるが…)。駐車場に着く頃になって降り出した雨に「ついてないなぁ…」と思いつつ、レインウェア&レインハットといういでたちで歩き出す。
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新穂高温泉登山者用無料駐車場(6:39)


しばらくは、舗装された道を汗をかかないようにゆっくりと歩く。レインウェアを着て歩くのは、汗により中がムレムレになるので大嫌いなのだが、この日は寒いくらいに気温が低かったので、それほど悪くはないなぁと思っていた。

ところが、歩き出して間もなく、体調の異変に気付いた。どうやら風邪気味のようで、喉が痛いしイガイガする。ちょっとマズイと思ったが、おどさんは八ヶ岳で風邪が治ったと言っていた筈だし、山に入れば体調も良くなるだろうとこの時はまだ楽観していた。しかし、鉄人おどさんと変人makiwarikunとでは、基本的な体力が雲泥の差であるし、なにより、おどさんの八ヶ岳の時が快晴だったのに比べ、この日は冷たい雨と条件が悪すぎた。この後、体調は回復することなく悪化の一途を辿ることとなる。
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左俣林道ゲート(7:01)


左俣林道を進んでいくと、水場が設置された笠新道登山口に到着したので、ここで喉を潤す。ほとんどコースタイム通りのゆっくりしたペースであるが、この日は双六小屋までの予定だったので、新穂高温泉駐車場からコースタイム(7時間15分)通り歩いても、余裕はたっぷりある。
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笠新道登山口にある水場(7:52)


間もなくわさび平小屋に到着したので、ここで腰を下ろして少しだけ休憩する。小屋の前では冷たい水に浮かべられたトマトなどが売られているが、この寒さでは売り上げゼロであろう。
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わさび平小屋(8:05)


わさび平小屋から更に林道を進んで行くと、やがて開けた場所にでるが、その先で林道から離れ小池新道に入って行く。
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小池新道入口(8:26)


小池新道に入ると石段の登りが始まるが、傾斜が急になるにつれて、どっと汗が噴き出してくる。いくらゴアテックスのレインウェアが水蒸気を透過させるといっても、汗をかいてしまえばビニールの雨具と体感的にはそれほど変わりはしない。ウェアの中はムレムレ状態で非常に不快である。短パン&Tシャツ姿でないと持っているポテンシャルを十分に発揮できないmakiwarikunが、最も苦手とするのがレインウェアを着ての登りである。

やがて秩父沢と呼ばれる休憩ポイントに到着するが、この雨の中では休憩する気にもならない。
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秩父沢(9:12)


ところが、秩父沢を過ぎたあたりから、なんとなくお腹の調子が悪いことに気付いた。おそらく風邪による症状だと思われるが、お腹がゴロゴロと不気味な音を発し出している。あるいは、冷たい雨にお腹が冷やされたせいかもしれない。

ピーンチ!!

これまでのゆったりペースから一転して、それからは全速力で飛ばすことにした。一刻も早く鏡平山荘に辿りつかないと、” 奥久慈の悲劇 ”(その時の記事はこちら)以来、およそ7ヶ月ぶりに封印してきた例の伝家の宝刀を抜くことになってしまう。

しかし、焦る気持ちと裏腹に、鏡平山荘はなかなか近付いてはこない。秩父沢から全速力で飛ばしても1時間半は掛かるので(コースタイムは2時間15分)、内心「ちょっと間に合いそうにに無いなぁ…」と、段々どこかに良い場所はないかと願う気持ちが強くなってきた。平日だというのに、すれ違う下山者は結構多かったので、登山道からは完全に死角になる場所が絶対条件である。

とその時、登山道のすぐ脇に枯れた沢がある場所に出た。これは天の助けかと思い、その枯れ沢に入り(踏み跡があった)、20mほど登っていくと…

あった~!!

一畳ほどの平坦地でかつ登山道からも全く見えないという理想的な場所が現れたのだ。キジ撃ちのために神が創った場所といっても過言ではない(いや、さすがにそれは言いすぎやろ!)。やはり私にはウン〇の神様が見守ってくださっているのか、キジ撃ちのピンチの際には、必ずといっていいほどこのような場所が現れる。

ここまでくれば、もう迷いはない。雨の中でレインウェアを着たままという、やや上級者向けの条件ながら、キジ撃ちマスターと呼ばれた男にとっては、さほどの事はない。素早く事を済ますと、ケルンのように大きめの石を積み重ねて処理しておいた。(このケルンを見てこの枯れ沢を登山道だと間違える登山者が居なければ良いが…)

神が創り賜われた奇跡のキジ撃ち場所から登山道に戻った際に、下山されてる方にバッタリ遭遇した。その方から「あれっ?」っと言われたので、「ちょっと、休憩してまして、えっへっへっへ~」と咄嗟に誤魔化したが(なんという不自然な理由だ!)、キジ撃ちしていたことがバレていないだろうか?
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登山道脇の枯れた沢(下山時に撮影)


すっきりした後は、もう急ぐ理由も無くなったので、再びゆっくりと歩き出すが、なんだかエネルギーの全てを吐き出してしまったようで、力が出ない。朝から何も口にしていなかったので、シャリバテ気味だったかもしれない。雨の時は、ザックカバーを外して行動食を取り出すのも億劫なので、どうしても行動食抜きで歩き続けてしまう。

やがて、シシウドが原と呼ばれるベンチが置かれた休憩ポイントに到着するが、雨をしのげる場所がないので、ここもスルーする。冷たい雨の中での4時間に及ぶ行動に、体が冷え切ってしまったようで寒くて仕方がない。
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シシウドが原(10:18)


標高を上げるにつれて雨風が強くなってきたので、体調の悪さも考慮して撤退すべきかどうか迷いはじめるが、とりあえず鏡平山荘で濡れたシャツを着替えたいと思い、もう少し頑張ることにした。

そして、やっとの思いで鏡平山荘に到着し、乾いたシャツに着替えてホッと一息つき、これからどうするかについて大いに悩む。あと2時間ほど進み当初の予定通り双六小屋に泊まるか、風雨が強まってきたことを考慮して鏡平山荘に泊まるか、体調の悪さを考慮して撤退することにするかの3択であるが、出した結論は、残念ながら撤退することにした。風邪気味の体調を抱えたまま快適とはいえない山小屋に泊まることは、こじらせてしまう危険が高いと判断した。

冷え切った体を温めるために、鏡平山荘で温かいラーメンかうどんでも食べようかとも思ったのであるが、頭が痛くて食欲もないので、行動食であるフルーツグラノーラをほんの少し食べただけで済ませた。登りでキジ撃ちした上に、下りでゲロ吐き(この言葉の山隠語はないのか?)では全くシャレにならないからだ。
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鏡平山荘(11:11)


強まる雨に登山道はまるで川のようになっているが、濡れた岩に足を滑らさないように気をつけながら、慎重のうえに慎重を重ねてゆっくりゆっくり下っていく。この体調と天候の中で、うっかり捻挫などの怪我を負ってしまうと、それこそ命の危険にさらされかねないので必死である。
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まるで川のような登山道(11:29)

時折すれ違う登山者と「最悪の天気ですねぇ」と言葉を交わしながら、ノンストップで下っていくが、出発から約8時間後になんとか駐車場に無事戻ることができた。

【感想】
・鉄人おどさんの記事によれば、この翌日は天気が回復したようなので、風邪が回復した今となっては、やはり予定通り双六小屋まで進むべきであったかと思わないでもない。いずれにしても私にとって今シーズンの北アルプスは終わってしまった。剣岳や鹿島槍ヶ岳や白馬岳などの予定していた山々のほとんどに登頂が果たせず、非常に不本意なシーズンとなってしまった。

鹿島槍ヶ岳は遠かった(爺ヶ岳~柏原新道、日帰り) [登山]

9月某日。

”検査の谷間”を利用して、日帰りで北アルプスに行ってきました。

検査の谷間とは、検査官から求められる資料の作成に忙しい検査期間の前半部分と、検査官からの質問や指摘事項の対応に忙しい検査期間の後半部分とに挟まれた、1~2日の間ポッカリと空いた暇な日の事を言います。(谷間[黒ハート]が大好物のmakiwarikunが勝手に付けた造語という噂もあります。)

連日の検査対応に疲労が蓄積していたので、セオリーとしては休養に当てるところだと思いますが、疲労以上のストレスが限界ギリギリまで貯まっており、どうしても北アルプスの雄大な景色を眺めたくなりました。

そこで、この検査が入っていなければ、有給休暇を取って8月18日(木)に行く筈であった鹿島槍ヶ岳にアタックしましたが、このところの運動不足によるスタミナ&筋力の落ち込みと、疲労蓄積や不規則な食生活が原因と思われる体調不良のため、あえなく敗退となりました。

それでも、剣岳を筆頭に立山連峰の雄大な景色を眺めながらの稜線歩きはとても気持ち良かったです。

今回も前回の槍ヶ岳の記事と同様、写真と簡単な文章だけの記事となりますが、しばしお付き合い下さい。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

天候:曇り後晴れ[曇り][晴れ]

コースタイム:
5:20 柏原新道登山口 →7:40 種池山荘(5分休憩) →9:03 赤岩尾根分岐(5分休憩) →9:15 冷池山荘(15分休憩)→10:45 爺ヶ岳(南峰)(10分休憩)→11:20 種池山荘(5分休憩)→13:22 柏原新道登山口

直線距離:16.641km
沿面距離:17.534km
累積標高(+):2266m
累積標高(-):2257m
所要時間:8時間2分




爺ヶ岳グラフ.jpg
GPSデータグラフ表示


柏原新道登山口(標高1350m)は、立山黒部アルペンルートの玄関口である扇沢から1kmほど手前(東)にありますが、登山口のすぐ前に7~8台が駐車可能なスペースがあります。
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柏原新道登山口(5:22)


”ケルン”と呼ばれる場所の前を通ります。確かにケルンがあります。
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ケルン(6:11)


柏原新道は整備されており、非常に歩き易いです。北アルプスで最も登り易い登山道のひとつという情報は本当でした。大きな段差はほとんどありませんので、疲れもそれほど感じないで登れます。
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整備されて歩きやすい柏原新道(6:23)


この日は、標高2000m付近から上は雲の中にあり、見通しはあまり利きませんでしたが、突然、霧の中から種池山荘が現れました。登山口からコースタイム3時間30分のところ2時間20分で歩いたことになりますが、体が重くスピードが上がらないと思っていた割には、まぁまぁのペースです。
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種池山荘(7:40)


稜線に出ると途端に強風がビュービューと吹いていました。あわてて長袖のシャツとヤッケを着込みますが、とても寒かったです。これで雨が降ってきたら迷わず撤退だなぁと思っていたのですが、ラッキーなことに段々と青空がのぞきはじめました。
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強風の中、爺ヶ岳(南峰)への稜線を登る(8:10)


日が照り始めると一転して暑くなったので、いつものTシャツスタイルになりますが、剣岳などの立山連峰の山々を左手に見ながら、気持ちの良い稜線歩きが楽しめました。
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剣岳(8:22)

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剣・立山連峰(8:56)

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赤岩尾根分岐(9:08)


冷池山荘のベンチで食料補給をしながら、予定通り鹿島槍ヶ岳に向かうべきか、ここで撤退するべきか大いに悩みました。体調が悪い中、なんとかコースタイムを上回るペースでここまで辿り着きましたが、そろそろ疲れも出始めていましたし、右足首に軽い痛みも感じていたからです。

そして悩んだ結果、ここは残念ながら撤退することにしました。以前、山に登った後に右足首が腫れ上がり、歩けなくなった時のことを思い出し、翌日は絶対に会社を休むことが許されなかったので、自重することにしたのです。検査期間中でなければ間違いなく前進していたと思いますが、この後のヘバり具合からして、撤退は正解だったかもしれません。
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冷池山荘(9:20)


鹿島槍ヶ岳の頂を踏めなくなったので、とりあえず爺ヶ岳の山頂標識が立つ南峰だけは登ることにしました。爺ヶ岳山頂には一人の方が休んでおられましたが、手ぶらでは帰れないと思い、少々の恥ずかしさを押し殺して一人写真を撮ることにしました。

爺ヶ岳で爺さんになるという何のヒネリもありませんが、一応、休筆宣言中ということで自分を納得させます。
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爺ヶ岳山頂で爺さんになったmakiwarikun(10:50)

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種池山荘を目指す(11:10)


この日、立山連峰の景色は楽しむことができましたが、鹿島槍ヶ岳の優美な双耳峰の姿は、遂に最後まで見ることができませんでした。
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鹿島槍ヶ岳は最後まで雲の中(11:11)


登りは楽に感じた柏原新道ですが、標高差1150m程の下りは非常に苦しく感じました。日課としていたウォーキングすら出来ない中で、太腿の筋力が相当に落ちているのでしょう。
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眼下の扇沢(12:24)

【感想】
・疲れが貯まっている上に、ほとんど徹夜で登山口まで運転してからの山行となったので、超ハードな1日になってしまった。帰りの運転が非常に辛かったので、八ヶ岳PAで休息しながら、日帰りの北アルプスはもう止めよう、日帰りなら八ヶ岳にしようと思った。

槍ヶ岳リベンジを果たす(上高地~槍ヶ岳ピストン、1泊2日) [登山]

昨年の夏に表銀座コースから槍ヶ岳を目指しましたが、体調不良の上に道を間違うという失態により、あえなく敗退しています。今年はそのリベンジとして、信頼するmakiwarikun山の会会員2号のT氏をパートナーに加え、上高地から槍沢コースにより槍ヶ岳を目指すことにしました。

関東甲信越地方が豪雨に襲われた8月26日(金)は朝から雨に祟られ、水俣乗越への急登では激しい雨の前に一時は撤退も覚悟しましたが、稜線に出たところで雨が止むという幸運に恵まれ、東鎌尾根の難所もそれほど恐怖感なく進むことができました。また、写真は撮れませんでしたが、生まれて初めて雷鳥も見ることもできました。

二日目の8月27日(土)は、朝から申し分の無い天気に恵まれ、槍ヶ岳山頂から素晴らしい景色を楽しむことができました。

前回の記事に書いたような状況ですので、makiwarikunのトレードマークであるギャグも下ネタも考える余裕がありませんので、写真のみの記事とさせていただきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年8月26日(金)
天候:雨後曇り[雨][曇り]

コースタイム:
6:04 上高地バスターミナル →7:02 明神(5分休憩) →8:05 徳沢(5分休憩) →9:02 横尾(20分休憩)→10:25 一ノ俣→11:03 槍沢ロッジ(5分休憩)→12:07 水俣乗越分岐 →13:15 水俣乗越(10分休憩) →15:45 ヒュッテ大槍

直線距離:21.482km
沿面距離:22.462km
累積標高(+):2195m
累積標高(-):830m
所要時間:9時間41分




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GPSデータグラフ表示


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上高地バスターミナル(6:04)


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河童橋(6:14)


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明神(7:02)


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梓川(7:51)


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徳沢(8:05)


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横尾(9:02)


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一ノ俣(10:25)


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槍沢ロッジ(11:03)


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ババ平キャンプ場(11:42)


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水俣乗越分岐(12:07)


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水俣乗越(13:15)


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水俣乗越からの北方景色(13:15)


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北鎌尾根を従える槍ヶ岳(13:47)


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高度感ある東鎌尾根の岩稜帯(13:50)


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東鎌尾根のハシゴを慎重に下るT氏(14:05)


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東鎌尾根から穂高連峰を臨む(14:55)


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ヒュッテ大槍(15:36)


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ヒュッテ大槍の夕食(17:02)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年8月27日(土)
天候:晴れ[晴れ]

コースタイム:
5:53 ヒュッテ大槍 →6:32 槍ヶ岳山荘(5分休憩) →6:59 槍ヶ岳山頂(5分休憩) →7:22 槍ヶ岳山荘(10分休憩)→9:31 水俣乗越分岐→10:12 槍沢ロッジ(10分休憩)→11:29 横尾(10分休憩) →12:27 徳沢 (5分休憩)→13:12 明神 →13:54 上高地バスターミナル

直線距離:24.190km
沿面距離:25.826km
累積標高(+):1508m
累積標高(-):2890m
所要時間:8時間01分



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GPSデータグラフ表示


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槍ヶ岳を見上げて気合を込めるT氏(5:54)


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穂高連峰(5:54)


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近付く槍ヶ岳(6:18)


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穂先へのハシゴから見下ろす(6:51)


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穂先に立つんだジョー(6:59)


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奥穂高岳に続く稜線(7:00)



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山頂から槍ヶ岳山荘を見下ろす(7:01)


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槍沢から槍ヶ岳を仰ぐ(7:40)


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播隆窟(8:14)


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水量豊富な槍沢(9:06)


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雪渓を潜る槍沢(9:18)


【おまけ】
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夜の蝶にも槍沢の蝶にもモテモテのmakiwarikun


今回宿泊したヒュッテ大槍で同じ部屋(蚕棚)になった青年から、色々と役立つ話を聞く事ができました。この青年は表銀座コースから槍ヶ岳に登り、上高地へ降りられましたが、今回のコース中、不思議なくらいに何度も遭うことになったので、余程の縁かと思い、槍ヶ岳山荘の前で記念写真を撮ってもらいました。また、どこかの山でお遭いしたいものです。
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山で出会ったナイスガイ(ジョーと力石はそっぽを向いてますが、実際はにこやかな二人です。)


演習は本番より厳し(土合駅~谷川岳~土樽駅) [登山]

いよいよmakiwarikun山の会の活動シーズンがやってきた。makiwarikun山の会とは、山に登り始めてまだ間もない初心者のmakiwarikunが、それでも自らの山男心を満たすために設立した山岳会である。なので、会員はmakiwarikun以上に山の初心者でなければならない。会員は今のところ2名であるが、残念ながら両名とも自分がmakiwarikun山の会の会員であるという自覚は全くない。

makiwarikun山の会の会則は次の通り
1.山には決してゴミを捨てないこと。
2.挨拶と道譲りは自ら積極的に行うこと。
3.山ガールに手を出さないこと。
4.会長の稚拙な登山技術を笑わないこと。
5.会長が歩行中に繰り出すギャグと下ネタを無視しないこと。
6.会長が滑落しても見捨てないこと。
7.会長の股間にインディアンテントが本当にあるかどうかを入浴の際に確かめないこと。

昨年、makiwarikun山の会は、夏の活動として八ヶ岳縦走を成し遂げているが、その際の予行演習として、上州武尊山で厳しい訓練を行った。今夏は更なるレベルアップを目指して、山に登る者ならば誰もが憧れる名峰槍ヶ岳を活動の場所として選んだのであるが、昨夏に引き続き今年もパーティを組むことになっている会員2号のT氏は、普段は山とは無縁の生活を送っているので、山登りの基本を思い出してもらうためにも予行演習の実施が必須となる。

普通、演習といえば会社での避難訓練のように、『とりあえずやりましたよ~~』といった感じで、チョコチョコっとやってお茶を濁すことが多いのであるが、それではいざという時に役に立たない。
松岡修造よりも100倍熱い男ことmakiwarikunには、そんな甘っちょろい発想はない。本番以上に厳しい経験をしてこそ、本番が楽に感じられるのだ。

ということで仮想槍ヶ岳として選んだ場所は、クサリ場が多く日本三大急登の1角にも名を連ねる谷川岳西黒尾根である。更に、下山ルートは一ノ倉岳~茂倉岳~茂倉新道~桧廊下~土樽駅というロングコースを採ることにした。

ところが、この予行演習が予想以上に厳しいものとなりmakiwarikun山の会の前に立ちはだかることとなった。果たして二人は無事に予行演習をやり遂げることができたのであろうか?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年8月7日(日帰り)
天候:晴れ後曇り[晴れ][曇り]

コースタイム:
5:52 土合駅 →6:32 西黒尾根登山口 →8:25 ガレ沢のコル →9:40 肩の小屋(10分休憩)→9:58 トマの耳→10:13 オキの耳→10:42 ノゾキ →11:07 一ノ倉岳 →11:40 茂倉岳(15分昼食休憩)→13:01 矢場ノ頭 →15:19 土樽駅

直線距離:16.034km
沿面距離:17.318km
累積標高(+):2027m
累積標高(-):2064m
所要時間:9時間27分



谷川岳グラフ.jpg
GPSデータグラフ表示

この日のゴールである土樽駅には1日に6本しか電車が止まらない。土樽駅発15:21の電車に乗って土合駅まで戻る予定を立てて逆算した結果、余裕を持って歩くには土合駅に5時半頃に着く必要があると計算した。この電車に乗り遅れると、次の電車まで3時間も待たなくてはならないので、あまりタイトなスケジュールは組みたくなかったのだ。

2時半に自宅を出たmakiwarikunは、途中でT氏を拾い一路土合駅を目指すが、土合駅に到着したのは予定よりも15分遅い5時45分であった。しかも、山に近づくと必ずウン〇がしたくなるというmakiwarikunの法則はこの日も健在で、谷川岳ロープウェイ駅のトイレで用を足した結果、西黒尾根登山口に着いたのは予定より40分も遅れていた。
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土合駅(5:55)

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西黒尾根登山口(6:32)


西黒尾根は日本三大急登に数えられるだけあって、最初から厳しい登りとなっている。この日は非常に暑く、歩き出して間もなく、早くも滝のように汗が流れ出してきた。

樹林帯の中の道は見晴らしも利かないので、ひたすら我慢して1歩づつ進むしかないが、やがて左手にはロープウェー天神平駅が、右手にはマチガ沢の絶景が見えるようになる。
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ロープウェー天神平駅を見下ろす(7:52)

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マチガ沢(8:02)

そしてお待ちかねのクサリ場が現れるのであるが、ココこそ会長の威厳を示す場所である。ヨシッ!クサリ場の登り方をT氏に指導するぞ!

「クサリ場では鎖にあまり頼ることなく、3点支持をしっかり守って、鎖は補助として使うのだ!俺の登り方を良く観ておけ!」とばかりに颯爽と登り始める。ところがここのクサリ場はホールドが十分に取れずに、結果としてクサリを両手で握り締め、力に頼ったブサイクな格好でよじ登ることとなってしまった。これでは会長の面目が丸潰れである。
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クサリ場(2010年7月24日撮影)

クサリ場を3箇所ほどこなして進んでいくと、ラクダの背からガレ沢の頭という場所に辿り着く。
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ラクダの背(8:21)

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ガレ沢の頭(8:25)


ガレ沢の頭を過ぎると再び急登となるが、黄色いペンキで書かれた矢印や丸印が進むべきコースを示してくれる。ここを登るのは今回が3回目となるのであるが、ここは何度登っても非常に辛く感じる。

T氏もきっとキツく感じているに違いないと思い、「キツイのは決してあなたの体力が無いからじゃあないのだよ!」という意味を込めて、西黒尾根が日本三大急登の1つであることをT氏に告げるが、「聞いてないよぉ~!!」とまるでダチョウ倶楽部のような反応をされてしまった。まぁ、ここまで来れば、聞いていようがなかろうが、頑張って登り続けてもらうしかない。

そして、遂に西黒尾根のゴールである肩ノ広場に到着したが、日本三大急登を征服した記念として、T氏に谷川岳の山バッチを購入してもらおうと、肩の小屋で休憩することにした。


肩の小屋からトマの耳は目と鼻の先であるが、トマの耳に到着した時には、既に多くの登山者が休んでおられたので、ここは証拠写真だけ撮って、先を急ぐことにした。
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トマの耳(1963m、9:58)

そして、トマの耳から15分でオキの耳に到着したが、ここにも多くの登山者の姿があった。当初の予定では、7時に運転を始めるロープウェーを使って天神尾根から登ってこられる方々が来られる前に到着するつもりであったのだが、予定より50分も遅れてしまった結果、既に多くの登山者が到着された後だったという訳である。
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オキの耳(1977m、10:13)

しかし、50分くらいの遅れであれば、まだ挽回することはたやすいと考えていた。昨年の10月に茂倉岳までの稜線はなだらかで歩き易そうなことを確認していたし、茂倉岳から先は土樽駅まで一気に下るだけだと思っていたからである。ところが、これがとんでもなく安易な考えだったことを後に思い知ることとなる。
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トマの耳からオキの耳(右)と一ノ倉岳(中)と茂倉岳(左)を臨む(2010年10月2日撮影)


オキの耳と一ノ倉岳の真ん中あたりにノゾキと呼ばれる場所があるが、ここは遭難者の多さ世界一で有名な一ノ倉沢を上部から望める場所である。但し、一ノ倉沢の荒々しい岩稜の全体が見渡せる訳ではないので、イマイチ迫力に欠ける。やはり一ノ倉沢は下から見上げた方が迫力がある。
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ノゾキから下方を覗く(10:42)

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迫力ある一ノ倉沢(資料画像)


ノゾキから少し進んだところで、かかっていたガスが晴れて一ノ倉岳が突然その姿を現した。「ひぇ~、近くで見ると意外に標高差があるなぁ~~!!」と内心で思いながら、ここでは撤退するかどうか迷っていた。予定より40分ほど遅れていたことに加え、上空には黒い雲が広がっており雷も心配だった…というより、今だから正直に言うと、西黒尾根の登りによってmakiwarikunが相当の疲労を感じていたので、一ノ倉岳の登りを目の前にして気持ちが折れてしまったのだ。

しかし、会長の威厳を保つためには、そんな素振りは微塵も見せる訳にはいかない。そこで何食わぬ顔でT氏の体調を確認してみると、T氏もかなり疲れていると言う。「しめた!これで会長としての威厳を保ちながら、撤退する決断を下せるぞ!」。そう考えるやいなや、すかさずここで撤退して、ロープウェーを使って降りることをT氏に告げたのである。

ところがT氏の口から思いがけない言葉を聞くことになる。「せっかくここまで来たのだから、予定通り進もう!」と言う。会長自ら疲れているのを隠して、T氏の体調の悪さを理由に撤退を決めたように見せかけたというのに…。T氏の言葉により、撤退を強硬に主張する理由がなくなってしまった。「う~ん、撤退の提案に絶対乗ってくると思ったのだけどなぁ…」

進むと決めれば、再び気合を入れなおして頑張るしかない。という訳で、一度折れた心を再び繋ぎ合わせて一ノ倉岳山頂まで一気に登ったのであるが、なんとこの登りだけで30分も遅れを挽回することができた。凄いぞ、makiwarikun山の会!!
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一ノ倉岳(1974m、11:07)

一ノ倉岳から茂倉岳までは起伏の緩やかな歩き易い稜線で、非常に気持ちが良かった。この調子なら、時間内に土樽駅に到着することは楽勝だと判断し、ここで昼食休憩を取ることにした。(Tやん(T氏の高校時代からの呼び名)、おにぎりごちそうさまでした。)
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茂倉岳山頂でくつろぐmakiwarikun(1978m、11:41)

茂倉岳から少し下ったところに茂倉岳避難小屋があるが、水場が小屋の裏手から更に少し下った場所にあるとのことであった。水場フリークのmakiwarikunとしては、大いに飲みに行きたい誘惑に駆られるが、体力の消耗を抑えるために、ここはぐっと我慢することにした。

やがて、矢場ノ頭という場所に到達するが、この辺りからどうもT氏の足取りが怪しくなってきた。T氏は長距離走を趣味としており、フルマラソンを余裕で4時間以内で走りきるスタミナの持ち主である。毎週50km走ることをノルマとしてトレーニングを積んでいるということなので、山を登る筋力は付いているようであるが、おそらく下りのための筋力が不足しているのであろう。山を下るために必要な筋肉は、実際に山を下るか階段下りくらいでしか鍛えられないという事が『登山の運動生理学百科(東京新聞出版局)』という本に書いてある。
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矢場ノ頭(13:01)

矢場ノ頭から先は桧廊下と呼ばれる樹林帯の中の道となるが、ここからが地獄であった。この道は急斜面の上に、木の根が多く剥き出しになっているので、非常に歩きにくい。
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桧廊下と呼ばれる樹林帯の悪路(13:06)

膝に力が入らない様子のT氏は、ダブルストックを松葉杖のように使い、もはや気力だけで歩いているが、滑りやすい道に何度も尻餅をついている。更に、尻餅をつく度にふくらはぎがつってしまうようで、足を押さえてうずくまるが、捻挫により歩行不能とならないかとヒヤヒヤする。

GPSと腕時計を交互に見ながら、電車の時間に間に合うかどうかを確認するが、桧廊下での大幅なペースダウンにより、段々心配になってきた。なんとかT氏を励ましながらゆっくりと進むが、makiwarikunの言葉に対するT氏の反応が段々と鈍くなってきた。

そして、GPSで平坦地まで等高線が3本しかないのを確認し、「あと30mで下りが終わるぞ!もう少しだ!頑張れ!」と叫ぶ。ところが、しばらく進むと、突如、かなり長い急斜面が目の前に現れたのである。「あれぇ~??? おかしいなぁ~?」とGPSを見直すと、なんと等高線は50m間隔で引かれていたのであった(つまりまだ150mの下降が残っていた)。こうして遂にmakiwarikunの会長としての威厳は地に落ちてしまったのだ。

それでもなんとか頑張って、桧廊下の下りを歩き抜くと、いきなり視界が開けて広場に出る。土樽駅まではまだ2km弱も残っているにも係わらず、電車の時間(15:21)までは20分しかない。元気な時なら楽勝の残り時間であるが、T氏の足の状態からすれば絶望的な状況である。ここに至っては土樽駅で3時間弱の足止めを覚悟した。

ところが、先ほどまで何度も足がつっていた筈のT氏が、突然走り出したではないか!これがフルマラソンを4時間を切って走る男の底力なのか? 「凄いぞ!Tやん!頑張れ!Tやん!」

前を走るT氏の背中を眩しげに見つめながら、いつしかmakiwarikunは、走る者を称える際の定番となっている例の曲を口ずさんでいた。

♪♪ 走る~走る~俺た~ち 流れ~る汗もそのま~まぁ~に いつか~たどり~着いた~ら  君に打ち明けられるだ~ろ ♪♪ (爆風スランプ、1988年)

「そうだ!この歌詞の通り、もし土樽駅に時間内に辿り着いたら、一ノ倉岳の手前で撤退を提案したのは、決して君を気遣った訳ではなく、単に自分がきつかったからだと打ち明けよう!」(結局、打ち明けなかったけど…)

そして、このT氏の頑張りにより、我々はギリギリ3時21分土樽駅発の電車に乗り込むことができたのである。めでたしめでたし。

帰路の関越自動車道では、物凄いゲリラ豪雨と断続的に続く渋滞に巻き込まれてしまい、結局、自宅に着いたのは23時前になってしまった。こうしてmakiwarikunのハードな1日は幕を閉じたのである。あ~疲れた~~!

【おまけ】
『クライマーズ・ハイ』という映画が3年程前に公開されている。私は当時はまだ山登りを趣味にしていなかったのであるが、冒頭のシーンで堤真一演じる主人公が登山姿で土合駅の長い階段を哀愁たっぷりに登っていく姿に痺れまくってしまった。いつか自分もあの階段を、山ガールから全く相手にされない男の哀愁(?)を漂わせながら、登ってみたいと思っていたのであるが、とうとうその瞬間がやってきた。その写真がこれだ!(う~ん、痺れるなぁ~)
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土合駅で哀愁を漂わす山男makiwarikun

【感想】
メンバーの体調や進捗状況や天候を見極めながら撤退の判断を下すのもリーダーの役割の1つである。「結果よければ全てよし」ではダメで、リスクを見極める冷静な判断力がなければ、リーダーとして山に登ってはならない。今回は、一ノ倉岳の手前で総合的に判断して一度は撤退を決めたのであるから、T氏の気持ちの如何に係わらず状況の好転がない以上、やはり撤退すべきであった。後に、T氏に私が撤退を告げた時の気持ちを尋ねたところ、「makiwarikun山の会の会員として、たとえ何が起ころうともロープウェーで降りることだけは出来ないと思った。」だと…。その言葉を聞いて私は泣けた。T氏は決してmakiwarikun山の会の会員として自覚がない訳ではなかった。熱い男makiwarikunの魂はしっかり伝わっていたのだ。

山には歩行距離&標高差よりも大切なものがある(畳平~乗鞍岳) [登山]

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乗鞍岳山頂で固い握手を交わすおどさん(左)とmakiwarikun(右)

2011年7月23日午後1時15分、標高3026mを誇る北アルプス乗鞍岳の山頂において、平成の天狗ことおどさんと千の異名(スベリギャグの帝王、キジ撃ちマスター、股間にインディアンテントを持つ男、女体大好きmakiwarikun、アブに殺されかけた男、道迷いの天才、燧ヶ岳滑落から生還した男 etc.)を持つ男ことmakiwarikunのコラボが遂に実現した。

この日makiwarikunは、勤務する会社のトレッキング部のメンバー9名とともに、夏の部活動として乗鞍岳に畳平から登ることになっていたのであるが、それに合わせておどさんが千町尾根から乗鞍岳に登る計画を立ててくださったのだ。私が持っているガイドブックでは、そのコースの標準タイム(登り)は9時間となっており、まさにおどさんにぴったりの超ロングコースである。

おどさんといえば、毎週のように超人的な山行を重ねられているばかりでなく、ブログでの山行記録も完璧な内容で残されているので、山登り&ブログ初心者の私にとっては正に憧れの存在となっている。

私の生活感たっぷりの記事に反して、おどさんはブログの中で自分自身のことをほとんど語られないので、その実像は謎に包まれている。実にミステリアスな人だ。ミステリアスな男はモテる筈という思いから、私が極端に「動と静」、「陽と陰」を使い分け、そのギャップから自分のミステリアスさを演出しているのに対して、おどさんの場合は、徹底的に自分の情報を隠す事により自らを神聖化するという方法を採っている。どちらの方法論が正しいかは別として、狙うところは全く同じである。(おどさんは別に何も狙ってないと思うけど…)

おどさんのブログの内容から、実際に遭う前に私がいだいていたおどさん像は、
・長身かつ細身(細いというのはブログのコメントで見た記憶がある。足の速さからコンパスの長さを推測した。)
・色白(非常に日焼けに対して用心しているから。)
・眼鏡を掛けており、几帳面な感じ(眼鏡を掛けているのはブログで読んだ。几帳面さはブログの構成から明らか。)
・年齢は30代後半(全く根拠はないが、驚異的な体力と文章の感じから推測した。)

といったところであるが、現実のおどさんは果たして私が想像していたような人だったのだろうか?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年7月23日
天候:曇り時々晴れ[曇り][晴れ]

コースタイム:
11:50 畳平 →12:15 肩ノ小屋 →12:50 剣ヶ峰(40分休憩)→14:10 肩ノ小屋(40分休憩) →15:20 畳平

直線距離:6.989km
沿面距離:7.646km
累積標高(+):834m
累積標高(-):832m
所要時間:3時間30分





以前、makiwarikunの仕事は、ブログのハチャメチャな内容とは裏腹に、非常に固いということを紹介したことがあるが、はっきり言って社員からあまり好かれるような立場にはなく、どちらかと言うと煙たがられている筈である。担当業務がそんな感じなので、いろんな部署の方と友好的な関係を築くことは、仕事を円滑に進めるために極めて重要である。昨年から会社は、健康維持に寄与するスポーツ関係のクラブの設立を認めるようになったのであるが、会社の経費(1人月額2000円の補助あり)で山登りが楽しめるばかりか仕事にも役立つとあって、makiwarikunは設立されたばかりのトレッキング部に迷わず入部したのであった。

そして今回が初めての活動であるが、トレッキング部といっても、多くのメンバーは部として成立するために無理やり集められたようなものなので、個人的に山登りをしている人はほとんどいない。という訳でハイヒールでも登れる3000m峰として有名な乗鞍岳に登ることとなったのだ。(実際に登った感じでは、ハイヒールは厳しいがスニーカーなら楽勝だと思った。)

3台の車に分乗してこの日の宿がある平湯温泉を目指すが、平湯温泉10時40分発のバスに乗って標高2702mの畳平に向かった。
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平湯温泉バスターミナル(10:39)


天気が良ければ、車中からでも北アルプスの雄大な景色が楽しめる筈であったが、残念ながらこの日は標高2000m前後からガスがかかっており、見通しはまったく利かなかった。こうなれば、車中に流れる槍ヶ岳や穂高連峰を説明する録音テープも皮肉にしか聞こえない。

バスは予定通り11時40分に畳平に到着したが、団体行動の悲しさよ、なかなか乗鞍岳最高峰の剣ヶ峰に向かって出発とならない。おどさんの登山計画によれば、おどさんは12時くらいには剣ヶ峰に到着する予定となっていたので、ここは団体行動を乱すようで申し訳ないのであるが、1人だけ先に山頂へ向かわせてもらった。
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畳平(11:45)


畳平から肩ノ小屋までの道は、ノーマルな車が通れるようにということか、整備され過ぎており、山登りをしているといった感じは全くしない。途中にある不消ヶ池(きえずがいけ)に残る雪だけが、今いる場所の標高の高さを思い出させてくれた。
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不消ヶ池(きえずがいけ)(12:06)


途中、左側の斜面に大雪渓が広がっている場所があるが、多くの方がスキーを楽しんでいたのには驚いた。やがて肩ノ小屋に到着するが、ここから先はやっと登山道らしいゴツゴツとした石が転がる道となる。
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肩ノ小屋までは整備された道が続く。左側の斜面に大雪渓が広がる。(12:12)


畳平から剣ヶ峰までは、標高差はたったの324m、コースタイムにして1時間40分程度の道のりであるが、当然ながらノンストップで進んでいく。剣ヶ峰を見上げながら、心の中で「おどさ~ん、もうすぐ着きますからね~」と叫ぶ。
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蚕玉岳(こだまだけ)付近から剣ヶ峰を見上げる(12:43)


そして剣ヶ峰には12時50分に到着した。いよいよ伝説の山ノボラーおどさんとの対面だと思うと、少しドキドキする。山頂は結構な混雑であったが、この中の誰かがおどさんに違いないと思い、キョロキョロと辺りを見回した。とりあえず、山頂を一周して声を掛けられるのを待つが、誰からも声が掛かることがなかったので、「おかしいなぁ?」と思いつつ更にウロチョロする。

「ひょっとしたらザックに装着した電撃ラケットが見えにくいのかも?」と考え、電撃ラケットを取り外し、軽く素振りをしながら歩いてみるが、やはり反応がない。山頂から少し降りた所で休んでいる方も何人かいたので、念の為にそちらに降りて電撃ラケットを振ってみるが、「なんだ?このオヤジ!」といった目で見られるだけであった。

事ここに至っては、おどさんが山頂に居ないことだけは確実となった。「そういえば、微熱が出るなど体調があまり良くないって書いてあったしなぁ…」とか「さすがのおどさんも超ロングコースに敗退しちゃったのかなぁ…」などと考えつつ、適当に写真を撮って時間を潰していた。その頃には「今日はきっと遭えないのだろう…」と諦めの心境になっていたのであるが、ひょっとしたらこれからおどさんが千町尾根を登ってくるかもしれないと思い、そちらの方角に目を凝らしていた。

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剣ヶ峰から権現池を見下ろす(12:52)

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乗鞍本宮(12:54)

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乗鞍岳(剣ヶ峰)山頂で電撃ラケットを持つmakiwarikun(13:11)


と、その時である。トントンと私の肩を叩いてくる人がいる。そう、この人こそおどさん本人であるのだが、その時の私は、おどさんが下から登ってくるものとばかり思っていたので、電撃ラケットを振る私に「危ないじゃないか!」と敵意むき出しで注意してくる人かと思い、反射的に身構えてしまったのだ。ところが、表情を見てみるとニコニコと友好的な態度だったので、そこでようやく目の前の人がおどさんだと気付いたのである。おどさんの記事によれば「makiwarikunですよねぇ」と私に声を掛けたとのことであるが、私にはその声は聞こえていなかった。

おどさんから声を掛けられた時の反応が鈍かったのは、以上のような理由によるものなので、決して私が”滑りKING”だけあって、リアクション芸も滑ってしまったという事ではない。(よしころんさん、そこのところヨロシク!)

お遭いする前には、「あれこれと聞いてみたいなぁ…」と思っていたのであるが、実際に憧れの人を目の前にすると、何を話して良いものやら戸惑ってしまった。とりあえず、よしころんさんのリクエストを思い出し、黄金のふくらはぎをサワサワするが、筋肉でカチコチかと思いきや意外と柔らかかった。(内心、「私のふくらはぎもどうぞ[黒ハート]」と思っていたのであるが、おどさんから触れられることはなかった。)

およそ10分そこそこの短い時間であったが、たわいのない話をしているうちに、おどさんが下山される時間となってしまった。そこで最後に撮った写真が冒頭の握手をしている写真である。この写真からもハッキリ分かる通り、おどさんの足の長いこと!(決して私の足が短か過ぎるから目の錯覚でそう見えるのではない。)

実際のおどさんは、事前の私の想像と違っていた点も少しはあったが(どこが違っていたのかは内緒)、ほぼ想像通りの爽やかな方であった。例えて言うなら”風のような人”といったところであろうか。その歩きっぷりは極めて軽やかで、ヒョイヒョイといった感じで、険しい岩場を下って行かれた。そして千町尾根を駆けるように軽やかに降りていく後姿を見送りながら「道理で早い筈だわ!」と妙に納得してしまった。

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おどさんと同時に大日岳方面を撮影する(13:26)


実は、剣ヶ峰への登頂の前に、頂上小屋で山バッチを購入していたのであるが、これが1000円と非常に高かった。肩ノ小屋で売っているバッチは400円くらいなのに「おかしいなぁ?」と思っていたのであるが、登山証明カードなるものが付いていた。こんな紙切れが600円もするなんて…。(一応、百名山のうち14座目の登頂達成)
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【感想】
・この日の宿は平湯温泉にある『ホテル平湯館』というところであったが、料理といいお風呂といい非常に満足した。料金的にも山小屋と同じくらいなので、8月末の槍ヶ岳へのアタックは、ここで前泊して上高地から入り(槍沢コース)、山小屋1泊に変更しようかと思っている。(当初は昨年のリベンジで、中房温泉から入り(表銀座コース)、山小屋2泊を予定していた。)
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ホテル平湯館

・会社のトレッキング部のメンバーとも夜遅くまで飲みながら親睦を深めることができたので、おどさんとの対面を果たせたことと併せ、非常に満足度の高い山行となった。

・おどさんとは、少し涼しくなったら黒戸尾根に行きましょうという約束を交わしたので、それまでにトレーニングを積んで、なんとか付いて行けるように鍛え直したいと思う。

(7月29日追記)
・凄い発見をしてしまった。12時43分に撮影した「蚕玉岳(こだまだけ)付近から剣ヶ峰を見上げる」という写真の先頭に、なんとおどさんが写っているではないか。いや~ ”おど” ろいた!

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剣ヶ峰から蚕玉岳に向かうおどさんの拡大写真(12:43)

尾瀬散策の予定が遭難寸前!?(御池~至仏山) [登山]

先週(7月9日)の八ヶ岳でアブに襲撃され、両手・両足ともボコボコにされてしまった事は前回の記事の通りであるが、その後更なる苦難に見舞われた。その時に左膝の関節を傷付けてしまったようで、膝の皿の上に水が溜まり、曲がらなくなってしまったのだ。「金は全く貯まらないのに、変なもんばっかり溜まりよる。」と思っていたのだが、溜まった水は傷付いた膝を守ってくれるクッションの役割を担ってくれているので、むしろ感謝しなければならない。思い起こせば、編笠山から青年小屋に向かって巨石群を調子に乗ってピョンピョンと飛び移っている時に、確かに膝に痛みが走る瞬間があった。

一時は膝が曲がらないばかりか、相当な痛みがあり、歩くことさえままならなかったのであるが、土曜日(7/16)には痛みは完全に無くなり、平坦な道であれば違和感なく歩けるようになった。アブの襲撃によりメガネを失った為に注文していたメガネも同じ日に出来上がったので、ここにようやく山に行ける環境が整った訳である。

ただし、いきなり膝に無理させることはできないので、急斜面がなくて涼しそうな場所ということで、尾瀬をのんびりと散策することにした。尾瀬はニッコウキスゲのシーズンを迎えている筈であるし、先般購入した新しい登山靴の慣らしにも丁度良いだろうと考えたのだ。膝の故障とメガネの一件がなければ、甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根に挑戦していた筈であるが、まことに情けない限りである。

ところが、散歩気分で出かけた筈の尾瀬であったが、終わってみれば超が付くほどハードな1日となってしまった。災難続きのmakiwarikunに今回はどんなハプニングが発生したのか?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年7月17日(日帰り)
天候:晴れ[晴れ]

コースタイム:
4:23 御池駐車場 →7:00 見晴 →8:36 山の鼻 →10:42 至仏山山頂→12:48 鳩待峠→13:29 山の鼻→14:43 東電小屋→17:38 御池駐車場

直線距離:42.041km
沿面距離:42.774km
累積標高(+):2100m
累積標高(-):2099m
所要時間:13時間15分



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GPSデータグラフ表示

尾瀬は自宅からは遠い。いや、遠いというより高速を降りて一般道を走る距離が長いので時間が掛かるのだ。三連休の中日であるこの日は、相当な人出が予想されたので、自宅を前日の22時に出て、眠くなればその都度仮眠を取りながら御池の駐車場を目指すことにした。(パーキングエリアで何度か仮眠を取ろうとしたのだが、結局一睡もできなかった。)

御池駐車場には4時頃に到着したが、この早い時間にも係わらず広い駐車場がほぼ満杯になっていたのにはビックリした。駐車場代は1回1000円(何泊しても同額)、駐車場を出る時に支払うシステムとなっている。

今やmakiwarikunの恒例儀式になっているのであるが、キジ撃ちを回避するためにトイレに向かうが、トイレも結構な混雑ぶりであった。しかしラッキーな事に、makiwarikunがトイレに入るやいなや1つしかない洋式便座(しかもウォシュレット付)が丁度空いたので、「今日の先行きは明るいぞ!」と感じた。左膝にはまだ水が溜まっており十分に曲げることができないので、和式便座では用が足せないのだ。(当然ながら最悪の場合のキジ撃ちもできない。マスター返上か!?)
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御池駐車場(4:25)


御池駐車場からほどなく燧ヶ岳への分岐が現れるが、この日は山に登らないと決めていたので予定通り見晴を目指して燧裏林道を進む。見晴までは8.9kmの道程である。
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燧ヶ岳分岐(4:30)


まもなく最初の湿原である御池田代に出るが、朝霧とお月様が良い感じである。その後も数箇所の湿原が現れるが、白くてふわふわしたワタスゲが見頃となっていた。
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御池田代からの景色(4:32)


途中、赤田代の温泉小屋前で食料補給のために休憩していると、虫がブンブンと私の周りを飛んでいる。一瞬「またしてもアブ野郎が来やがったか?」と思ったのだが、よくよく見るとそれはハエだった。
「俺はウンコやないっちゅうねん!」(キジ撃ち連発の前科はあるけど…)
と思いつつも、ハエ野郎なら恐れることはない。「好きなだけ俺にたかればいいさ!」と心の広いところを見せ付ける。(アブなら絶対ぶっ殺す!)

やがて6軒の山小屋が建つ、”尾瀬の銀座”こと見晴に到着した。ここは、山登りを始めて2年連続でテント泊している思い出深い場所なので、少し奥にあるテント場の様子を見に行ったのだが、三連休の中日だけあって多くのテントが張られていた。トイレは昨年と同様、仮設トイレのままであったが、来年度はトイレの浄化槽の工事のために、このテント場は閉鎖されるということだ。
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見晴テント場(7:04)


見晴から山の鼻に向かって尾瀬ヶ原を歩いている時に、トンボが羽化している場面に遭遇した。尾瀬ヶ原は湿原だけあってトンボが沢山飛んでいる。だから尾瀬にはmakiwarikunの天敵のアブがあまり居ないのであろうか?ありがたや~~~ 頼もしや~~~(アレ?このフレーズ最近どこかで見たような…)
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トンボの羽化(7:27)


日が高くなるにつれ暑くなってきたので、長袖のシャツからTシャツに着替えることにした。この日は、先週の八ヶ岳でアブに刺されまくった反省から、長袖、長ズボン(裾をファスナーで取り外せるタイプのもの)というスタイルで来たのであるが、少なくとも私はこの日一匹のアブも確認していない。

いつものスタイルであるTシャツに着替え、ニッコウキスゲやカキツバタが咲く尾瀬ヶ原を気持ち良く歩いているうちに、膝の痛みはどこへやら、テンションもどんどん上がっていった。[グッド(上向き矢印)]そして、正面にそびえる至仏山の堂々とした姿がどんどん大きくなるにつれて、危険な考えがmakiwarikunの中で膨らんでいった。「この調子なら、至仏山にだって登れるかもしれないぞ!」

つまりこういうことである。(エロ詩吟のメロディーに乗せてどうぞ!)
[るんるん][るんるん]長袖からTシャツに着替えたらぁ~あ~あ~ 乳首が透けるTシャツだったらぁ~あ~あ~
今日はなんだか行けそうな気がする~[るんるん][るんるん]  あると思います!(エロ詩吟、好きだったのになぁ~)
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尾瀬ヶ原から至仏山を臨む(7:53)


そして山の鼻に到着したのが8時半。2年前に鳩待峠から山の鼻を経由して至仏山に登った時に4時間ほどで回れた筈なので、至仏山に登ったとしても時間的には十分余裕がある筈だと考えた。最悪、日の入りまでに御池に戻れば良いのだからと思ったのであるが、これが大間違いだった。
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山の鼻テント場(8:31)


登山道は山の鼻の少し西側の木製階段から始まるが、山の鼻から至仏山の間は登りの一方通行となっている。にも係わらず、時々山の鼻に向かって下りてくる人が居るのには感心する。感心すると書いたのは、その面の皮の厚さに対してであり、登山者が少ない日ならいざ知らず、こんなに多くの人の目の前で堂々とマナー違反ができるその強い心臓が、私にはある意味羨ましいのである。私にもあんなに強い心臓があれば、私のつつましく平凡な人生もさぞかしダイナミックに変わっていただろう。

【この日尾瀬で見かけた私が感心した人々ベスト3】
1位:木道の真ん中に陣取り、長々と写真を撮り続ける人
2位:右側通行の木道の左側を歩き、右側通行している人とぶつかりそうになる人
3位:登りの一方通行にも係わらず至仏山から山の鼻に向かって下山する人
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至仏山登山口(8:39)

2年前に至仏山へ登った時にはそれほどキツかったという印象はないのだが、既に長距離を歩いていたせいか、それとも左膝の故障の影響か、はたまた寝不足によるものなのか、やっぱり猛烈な暑さが悪いのか、この日は半分も登らないうちに息が上がってしまった。まだまだこの日の先行きは長いので、何度も後方眼下に広がる尾瀬ヶ原と燧ヶ岳の景色を楽しみながら、ゆっくりと登っていった。
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尾瀬ヶ原を振り返る(9:27)


至仏山は蛇紋岩という表面がツルツルとした滑りやすい岩で形成されているので、できるだけ平らな場所にそっと足を置くような感じで慎重に進んでいった。
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滑りやすい蛇紋岩の登山道(9:33)


長々と続く木の階段を登りきると、高天ヶ原と呼ばれる広い台地状の場所に着くが、ここまでくれば山頂はもうすぐである。ところが、山頂を目の前にして、山頂で休む人々があまりにも多すぎて渋滞してしまったのだ。

そしてこれが山頂の様子であるが、あまりの混雑ぶりに、腰を下ろして休めるような場所はどこにも見当たらなかった。
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人でごった返す至仏山山頂(10:39)


人混みが大の苦手なmakiwarikunは、即座に鳩待峠に向かって下山することにしたのであるが、登山者と下山者が行きかうこの道は、至る所で渋滞が発生していた。
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至仏山南側から山頂を振り返る(10:46)


それでもオヤマ沢田代という場所を過ぎる頃からはスムーズに流れはじめ、それまでの遅れを取り戻そうと急いで下っていた時のこと。後方から追いついた私に気付いて、若く美しい女性が道を譲って下さった。そして、澄み切った声で「その足どうしたのですか?」と聞かれたので、てっきり筋肉で盛り上がる私の足を見て、「逞しいふくらはぎの殿方って素敵!私と結婚して下さい[黒ハート]」と言われるのかと思いきや、先週の八ヶ岳でアブに襲われボコボコになっている私のふくらはぎを見て、尾瀬は虫が余り居ないのに、どうして尾瀬で虫に刺されたのか?と不思議に思ったようなのだ。

先週に八ヶ岳でアブの大群に刺されたと説明すると、なんとその美女も来週に八ヶ岳へ行くと言う。
「おおっ!これは奇遇だ!運命の出会いに違いない。僕と結婚して下さい[黒ハート]
(makiwarikunの妄想は続く…)


山の鼻から至仏山に登っても4時間後の12時半には山の鼻に戻ってこれる筈という目論見は、登山道の大渋滞により大きくアテが外れ、結局1時間もその見込みより遅くなってしまった。日の入りは18時半くらいだろうから(ノーテンキにも日の入り時刻すら調べていなかったのだが…)、果たして残り5時間で御池まで戻れるか心配になってきた。

なので、ここからは疲れた体にムチ打って、ひたすら御池駐車場に戻ることだけを考えて大急ぎで歩いたのであるが、同じコースを戻るのはつまらないので、牛首分岐から東電小屋経由の道を進むことにした。

東電小屋への途中で、ニッコウキスゲの群生地越しに燧ヶ岳が綺麗に見える場所があり、ちょっぴり得した気分になった。
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ニッコウキスゲ越しの燧ヶ岳(14:18)

この日は4リットルもの水分を持ってきていたのであるが、東電小屋に着く前にはすっかりなくなっていた。そういえば、普段は頻尿気味のmakiwarikunであるが、この日はあまりオシッコもしていない。おそらく長時間の歩きによって大量の汗をかき、軽い脱水症状になっていたのだと思う。

東電小屋で1本400円のポカリスエットを買い求め、ホッと一息つく。貧乏性のmakiwarikunは、下界より2倍以上の値段がする山小屋のペットボトル等を買うことはあまりないのであるが、命あっての物種なので、そんなことを気にしている場合ではない。
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東電小屋(14:43)

東電小屋から御池までのラスト10km程が本当の地獄であった。疲労と脱水症状とシャリバテと睡眠不足その他モロモロの要因でふらついてまっすぐ歩けない。膝には全く力が入らないうえに、一番辛かったのが両足の小指の爪の痛みであった。体重が前に掛かる度に激痛が走る。こんなに長い距離を歩くことになるのなら、履きなれた登山靴を履いてくるのだったと後悔するが、後の祭りである。当初の予定では、アップダウンの少ない尾瀬を軽く散策するつもりだったので、新しい靴の慣らしには丁度良いと考えたのだ。

そして、出発からなんと13時間15分後、何度も木道を踏み外すほどヘロヘロになりながらもなんとか御池駐車場に戻ることができた。
「なんでこんなことになってしもたんかなぁ?」

【感想】
・尾瀬から戻って、またしても体調が悪くなった。今回は左足の指が痛むのであるが、典型的な痛風発作である。やはり脱水症状により血液がドロドロになってしまったのだろう。そろそろ週末に山に行く都度、体調が悪くなるという悪循環から脱しないといけない。(リストラされちゃうぞ!)

アブに殺されかけた日(八ヶ岳、編笠山~権現岳) [登山]

7月9日(土)、関東甲信越地方で梅雨が明けた。

しかし、これは後になって分かった事で、事前の天気予報では、めぼしい山はどこも降水確率40~60%くらいとなっていた。梅雨前線は、北に上がって停滞していたので、北方に行くほど天気が悪そうだった。そこで、自分が行ける山域では最も南に位置する丹沢に行こうと決めていたのだ。黒戸尾根に向けてのトレーニングとして、昨年もやったことがある丹沢主稜縦走(西丹沢自然教室→檜洞丸→臼ヶ岳→蛭ヶ岳→丹沢山→塔ノ岳→大倉)を行うつもりであった。

ところが、目覚ましを4時にセットしていたにも係わらず、2時前に目覚めたことから予定が狂った。この事を「もっと遠くに行きなさい!」という神のお告げに違いないと判断したのだ。とはいえ、急遽行き先を変えるとなると、コースなどを調べている余裕はないので、以前行ったことのある場所で、登山口がカーナビにセットされてある場所に限定される。

そこで候補に挙がったのが、昨年北アルプスデビューを飾った常念岳であるが、そこまで行って雨に降られた場合のショックが大きいので、結局、丹沢と北アルプスの間をとって八ヶ岳に行くことにした。

ところが、この判断を後になって大いに悔やむこととなる。ある意味今回はmakiwarikunの山行歴の中で最も過酷な戦いとなったのであるが、いったい何が起こったというのか?いつものキジ撃ちなのか?あるいは滑落か?それとも…(今回の表題でおおよその想像はつくと思いますが…)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日程:2011年7月9日(日帰り)
天候:晴れ時々曇り[晴れ][曇り]

コースタイム:
5:45 観音平駐車場 →6:19 雲海 →6:47 押手川 →7:45 編笠山山頂(10分休憩)→8:17 青年小屋→9:27 権現岳→10:02 三ツ頭→11:35 八ヶ岳横断歩道分岐 →12:09 観音平駐車場

直線距離:12.146km
沿面距離:13.102km
累積標高(+):1688m
累積標高(-):1688m
所要時間:6時間24分



編笠山や権現岳への登山口として利用される観音平の駐車場には、5時40分に到着した。昨年の9月に訪れた際は(その時の記事はこちら)、40~50台は止められそうな広い駐車場が6時頃には既に満杯となっており、路肩に駐車せざるを得なかったのだが、今回は余裕で駐車スペースを見つけることができた。
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観音平駐車場(5:45)

駐車場の北端から登山道が始まるが、最初のうちは緩やかなミズナラやシラカバの林の中を進んでいく。さすがに標高1500m以上の場所だけあって、とても涼しくて気持ちが良い。この辺りでは、「やっぱりこちらに来て正解だったなぁ」とご機嫌だったのだが…。

やがて、雲海と呼ばれる平坦地に辿り着くが、南側を覗くと、文字通り雲海の上に富士山が浮かんで見えた。今にも泣き出しそうだった空模様も青空が見えてきた。[グッド(上向き矢印)]
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雲海(6:19)

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雲海から臨む雲海の上の富士山(6:20)


雲海から30分程で押手川という場所に着くが、ここは、編笠山頂上に向かう道と、編笠山の東斜面を巻いて青年小屋に向かう道との分岐点になっている。楽をするなら右の青年小屋への道を進むのであるが、編笠山からのダイナミックな眺望を再び見たかったので、左の編笠山への道を進んだ。
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押手川(6:47)


編笠山への道が次第に傾斜を増していくのにつれて、段々と息苦しくなってきた。「去年来た時にはこんな感じはなかった筈なのにおかしいなぁ?」と思いつつ、この日は調子がイマイチなんだと思った。仕方がないので、木々の間から姿を見せる南アルプスの雄大な山々を眺めて何度も休憩を取りながらノロノロと登っていった。
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南アルプス(7:15)


それでも出発から丁度2時間で編笠山頂上に到着した。昨年よりは僅かに時間が掛かっているが、思ったほど遅くはなかったので、あるいは押手川までの前半部分で飛ばしすぎたのかもしれない。
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編笠山山頂標識(7:48)


編笠山頂上からは北アルプスの山々まではっきり見える。「う~ん、やっぱり来てよかったなぁ~」
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富士山と南アルプス(7:45)

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北アルプス(7:49)


編笠山頂上で5分ほど休憩して素早く食料補給を行うが、座るとアブがドドスコと突入してくる。
 う~ん ドドスコスコスコ アブ 突入[黒ハート]
(そのギャグもう聞き飽きたぞ~!!)

アブがうっとうしいので、そそくさと青年小屋に向かって降りることにしたのであるが、どうやらこの時の食料補給が不十分だったようだ。

青年小屋手前は大きな岩がゴロゴロしているが、ペンキ印を探しながら日本神話「いなばのしろうさぎ」の兎が鮫の背中を飛び移ったように岩の上をピョンピョンと飛び移って行く。
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青年小屋手前の岩石帯(8:10)

そして”遠い飲み屋”として有名な青年小屋に到着した。雑誌『PEAKS』の記事によれば、ここのオーナーの竹内さんはバリバリの登山家で、かっては青年小屋から権現小屋まで通常のコースタイム1時間30分の登山道をわずか18分で登っていたそうだ。ヒェ~!!
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青年小屋(8:17)


青年小屋から権現岳を目指して進むが、樹林帯の中の道がハイマツ帯に変わる頃になってアブの数が半端じゃないほど増えてきた。アブは日が当る場所で活発になることに加え、日が昇るにつれて活動を始めたのであろう。

東ギボシ直下は、クサリ場が連続する岩場であるが、緊張しながらここを通過してヤレヤレと思った途端、急にめまいがしてきた。編笠山山頂で食料補給が十分にできなかったので、いわゆるシャリバテ状態になっていたのであろう。アブはうっとうしいが、阿弥陀岳と赤岳の雄大な景色を眺めながら、ここで10分ほど栄養補給することにした。
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阿弥陀岳と赤岳(9:15)

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権現小屋(9:19)


権現小屋の横を通り、しばらく進むと権現岳の頂上に辿り着く。頂上で5分程休憩した後に、三ツ頭方面に向かって降りる。
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権現岳(9:27)

クサリ場を過ぎると、岩礫の滑り易い道が現れるが、このところ転倒がめっきり減ったmakiwarikunなのに、この日は2回も尻餅をついてしまった。理由は明らか、まとわりつくアブを振り払うことに気を取られ、足元への注意が散漫になっていたからである。
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三ツ頭(10:02)


だが、本当の災難はこの後だった。しつこく付きまとう物凄い数のアブを振りほどきながら尾根道を下っていた時のこと、顔付近に飛んできたアブを右手で払った際に、うっかり眼鏡まで吹っ飛ばしてしまったのだ。

「メガネ、メガネ、ワシのメガネはどこかいな?」
とまるで昔懐かし横山やすし状態である。

ところが、いくら探してもメガネが見つからない。そこで捜索範囲を少し手前まで広げたのであるが、そうこうしているうちにその辺りに潜んでいたアブの集中砲火を浴びることになった。数百匹は居ようかという大群のアブに襲い掛かられて、冗談抜きに「コイツら、俺のタマを取るつもりか!」と思った。タマといってもキ〇タマのことではない。ヤが付く職業の方々の業界用語で命のことを指している。

命の危険を感じたmakiwarikunは「こりゃたまらん!」とメガネは諦めて、とにかく走ってその場から離れることにした。

メガネを失ったmakiwarikunは、足元に注意しながらも、道をも失ってしまわないようにGPSを小まめにチェックしながら慎重に進む。「やっぱりGPSは登山道が地図で確認できる上級機種に限るなぁ!」と悲惨な状況の中ながら悦に入る。大枚はたいて購入したGARMINオレゴン300、実に頼もしい奴だ!!

とにかくぼんやりとしか周りが見えないので「たとえ熊が目の前に居ても岩にしか見えないだろうなぁ」と思いつつ、アブに追い立てられるようにしてひたすら歩き続けた。歩いていても常時10匹くらいのアブがまとわり付いてくる状態であるが、立ち止まると更に格好の餌食になるだけなのでとにかく動き続けるしかない。

そうこうしているうちに、標高1800mくらいまで降りてくると急にアブの数が減ってきた。この辺りの樹林帯の中の道は傾斜も緩くて歩き易いので、超低空飛行を続けていたmakiwarikunのテンションも再び上昇してきた。
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標高1800m付近(11:20)

やがて八ヶ岳横断歩道分岐に辿り着くが、ここで観音平を示す道標を見て、ようやく無事に着きそうだと安心した。
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八ヶ岳横断歩道分岐(11:35)

ところが、最後の最後に道を誤ってしまう。GPSを信じて進めば良かったのに、涸れ沢に出たところで行き止まりだと勘違いしてしまったのだ。メガネがないので、対岸から続いている道にも、対岸に積まれていたケルンにも気付かなかったのである。

そして出発から6時間24分後、様々な困難に見舞われながらもなんとか観音平駐車場まで戻ることができた。

【感想】
・アブを甘くみていた。まさかこれほど恐ろしいとは…。アブのメスは、皮膚を切り裂いてから血を吸うという恐ろしさである。 アブに刺された瞬間には、チクッというような痛みがあるのですぐ分かる。 刺された日にはそれほど痒みを感じなかったのであるが、翌日になって刺された跡が腫れ出したかと思うと非常に痒くなってきた。今や手足の素肌をさらしていた部分は、ほとんど隙間なくボコボコになっている。
アブ.jpg
目が緑色に光る恐ろしい顔のアブ(資料画像)

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無残なmakiwarikunのふくらはぎ(7月11日撮影)

・アブ対策として、昨年はハッカ水を作ったり、パラゾールをぶら下げたりと、アブが近寄って来ないような策を講じたのであるが、今回は急に行き先を変えたこともあり、余りにも無防備すぎた。次に八ヶ岳を訪れる際は、アブを遠ざける策はもちろんのこと、たとえ接近しても刺されにくいように長袖&長ズボンで行きたいと思う。更に、今回のアブの襲撃に完全にブチ切れてしまったので、そんな甘ちょろい策だけではもう我慢ならない。次回までには電撃殺虫ラケットを購入して、コイツで片っ端から撃墜してやろうと思っている。バドミントン歴30年のmakiwarikunスマッシュが炸裂するぜ!
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電撃殺虫ラケット(資料画像)

・この翌日に新しいメガネを買いにいったのであるが、境目のない遠近両用レンズは特注になるので、出来上がりまで1週間程掛かるということだった。メガネがないと山に行けなくなるので、出来るだけ早く作って欲しいとお願いはしたのだが、週末までに間に合うのだろうか?

・八ヶ岳で残る未踏の山は阿弥陀岳だけであるが、今夏中には赤岳とセットで登るつもりでいる。今回の恨みはその時に必ず晴らしてやろうと思っている。コノウラミハラサデオクベキカ、コノウラミハラサデオクベキカ、コノウラミハラサデオクベキカ…

127時間の安静の後に映画『127時間』を観た [雑記]

カラオケではいつも調子はずれのmakiwarikunが、季節はずれの風邪にやられてしまった。

先週の木曜日(23日)から「なんだか喉が痛いなぁ?」と感じていたのであるが、金曜日になって発熱によりダウンしてしまったのだ。[バッド(下向き矢印)]

ガッシリ体型(ぽっちゃり体型かも?)のmakiwarikunは、一見とても丈夫そうに見えるのであるが、実は疲れにより抵抗力が落ちた時には、よく風邪を引いてしまう。

”疲れ”といえば身に覚えがあるぞ![ひらめき]

そう、先週末(19日)に敢行した筑波山(女体山)3往復である。「まだまだ若い者には負けられねぇ~!!」と年甲斐もなく女体に3回も乗ってしまったのだ[黒ハート][黒ハート](言い方がメッチャ紛らわしいぞ!)

「だってぇ~、このところすっかりご無沙汰だったので、ついつい女体に乗れることが嬉しかったのだもん…」(だからぁ~、”山”を付けなさいって!!)

風邪に伴う症状としては、あちこちの関節がいつも痛くなるのであるが、当然ながら風邪が快方に向かえば痛みも引くことになる。今回も例によって体の節々が痛んでいたのだが、不思議な事に風邪の他の症状が軽くなってきているにも拘わらず、右足首の関節だけは一向に痛みが引かない。それどころか、段々と痛みが増して遂に歩行困難となってしまったので「これはおかしい?ひょっとしてアイツがやってきたのか?」と思い、右足首を見たところ、予想通りテカテカと赤く腫れていたので、ようやく痛風発作に襲われていることを認識した。

前回の痛風発作は2月に発症したのであるが、その時は足首の捻挫の痛みに隠れてこっそり忍び寄って来たし(その時の記事はこちら)、今回は風邪による関節痛を隠れ蓑にするという狡猾さである。このように、他の怪我や病気による痛みに紛れてこっそりと近寄ってくる痛風のことを、我々痛風専門家は”クリーピング(忍び寄る)痛風”と呼んでいる。

以上のように、風邪と痛風によって金曜日から5日間と7時間(127時間)じっと安静にしていたのであるが、ようやく歩けるようになったので、気分転換に山雑誌『PEAKS』で山映画として紹介されていた『127時間』を観に行くことにした。この映画の宣伝コピーは、『生きて帰りたい。断崖に挟まれた一人の青年の、究極の<決断>。彼の勇気が世界に感動を与えた、奇跡の実話!』となっている。この映画のあらすじは、タイトルとこの宣伝コピーで大方想像がつくのであるが、以下に感想を少々。

1.これって山映画なの?
主人公が登山家ということで、確かにスリング、カラビナ、ザイルなどの山岳ギアを鮮やかに使いこなすのであるが、いかんせん舞台が『ブルー・ジョン・キャニオン』という渓谷なのである。山が隆起によって周りより高くなっている場所に対して、渓谷は雨で侵食され逆に周りより低くなっている場所なので、むしろこれは”谷映画”に分類すべきではないかと思った。渓谷の景色が素晴らしいのは間違いないが、それでも私が期待するような山岳風景ではないのだ。そもそも映画のほとんどの時間は、主人公が岩に挟まれて身動き出来ないシーンである。

2.単独行の時は必ず誰かに行き先を告げよう!
主人公はやたらにハイテンションで、「ひとり旅は最高!」って叫んでいるが、確かに単独行の自由さと気楽さは捨てがたいものがある。しかし、主人公が身動き取れなくなって大いに悔やむのが、誰にも行き先を告げていなかったことである。私も誰にも行き先を伝えないで山に向かう事が時々あるが、これからは登る山と登山口くらいは必ずmakiwarikun山の会の会員など誰かに伝えるようにしようと思った。災難は、何時、誰に訪れるかは分からないのだから…

3.死ぬ間際で笑いを取るぞ!
主人公が自分の死を覚悟した時、持参したビデオカメラに向ってコミカルな一人芝居をするシーンがあるが、これを観た時、私は「やられた!先を越された!」と思った。あまりに不謹慎なので今まで秘密にしていたのであるが、私には、山で遭難して死を覚悟した時のために暖めている渾身のギャグがある。遭難死した超有名な登山家が死を覚悟した際に残したメモをパロディにしたものであるが、過去に遭難死した登山家が死ぬ間際にギャグを飛ばす事などある筈がないと思い込んでいたのだ。どうせ死ぬなら、死の直前にギャグを飛ばした”伝説の山ノボラー”として自分の名前を後世に残したいと思ったのだが…

127時間.jpg

痛風持ちの山ノボラーが最も恐れていることは、山に入っている途中で痛風発作に襲われることであり(実は急な便意の方が私は怖いのだが…)、もしそうなったら悲惨だなぁ…と思っていたのであるが、この映画を観た後では、岩に挟まれて身動きが出来ない事に比べれば鼻くそみたいなもんだと思えてきた。痛みがMAXとなる前になんとか最寄の山小屋に辿り着き、2~3日そこで停滞すれば良いだけなのでどうってことはない。

そして今日(6/29)、咳がまだ止まらないし、足首もまだ痛みが残っている。明日には1週間ぶりにせめてウォーキングくらいはできるようになっていれば良いのだが…。

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